金融経済イニシアティブ

山本謙三のコラム・オピニオン

山本謙三による金融・経済コラムです。

トランプ政権の関税・通商政策を考える ~「理念なきディール」のもとで同盟関係はどこまで保てるのか

2025.07.01

米国トランプ大統領の奔放な発言に目を奪われがちだが、同政権の関税・通商政策は「場当たり的」ではなく、用意周到に進められてきた。

 

経済学の観点からは、反論の余地が大きい。だが、もともと「MAGA(Make America Great Again)」を掲げ、通商・関税政策と防衛・軍事政策を一体として進めているだけに、いかなる反論も同じ土俵上での議論にはなりにくい。

 

むしろ下手な反論は「脅しで突き返されるだけ」との諦観も漂う。

 

さりとて、人権や民主主義などの理念を共有しないままでの「ディール」や、国内支持層へのアピールを優先する政治姿勢のもとで、政権が想定する安定的な世界秩序が実現するとは考えにくい。

 

この先、世界はどこへ向かうのか。若干の考察を試みよう。

 

新発国債の発行圧縮が減額実現のカギを握る ~「長期国債買い入れの減額計画の中間評価」を考える(その2、完)

2025.06.02

<本稿は、前回コラム日銀は年40兆円の残高圧縮ペースの維持を~『長期国債買い入れの減額計画の中間評価』を考える(その1)の続きです。>

 

日本銀行は、6月16、17日の金融政策決定会合で、2025年度以降の長期国債買い入れの減額計画を更新する。昨年7月、24、25年度の買い入れ減額計画を公表した際に、1年後に中間評価を行うとしていたものだ。

 

前回コラムの試算では、少なくとも年間40兆円程度の残高圧縮ペースを維持するのが適当との結果になった。本稿では、このペースでの圧縮を続ける場合、日銀が直面するであろう困難と課題を考えてみたい。

 

前回の試算が示すように、「年間40兆円程度」の圧縮を続けても、圧縮の完了は2037年度となる。仮にその途中で残高圧縮を停止しなければならない事態が起きれば、「残高120兆円程度」への着地は遠のき、永久に実現できない可能性も高まる。

 

万一、圧縮が中途で頓挫し完了不能となれば、その意味するところは、異次元緩和中に大量発行された国債の消化能力が市場にはなかったということである。にもかかわらず、日銀の買い入れが、国債の発行を促してきた。すなわち、日銀の国債買い入れは「財政ファイナンス」だったことにほかならない。

 

昨年度から続く日銀の長期国債の残高圧縮は、「市場機能回復」のための闘いであり、同時に「巨額の国債買い入れが財政ファイナンスでなかったことを証明する」ための闘いである。

日銀は年40兆円の残高圧縮ペースの維持を ~「長期国債買い入れの減額計画の中間評価」を考える(その1)

2025.06.01

日本銀行は、6月16、17日の金融政策決定会合で、2025年度以降の長期国債買い入れの減額計画を更新する。昨年7月、24、25年度の買い入れ減額計画を発表した際、1年後に中間評価を行うとしていたものだ。

 

これまでの減額計画は、24年7~9月から26年1~3月までの間、買い入れ額を毎四半期4000億円ずつ減らすというものである(参考1参照)。この計画に従えば、圧縮率は当初小さく、次第に高まる計算となる。

 

実際、今年3月末までの1年間の残高圧縮率は2%に満たなかった。実額では11.4兆円の減少だ。計画通りとはいえ、ここからなにか重要な示唆が得られるということはないだろう。

 

むしろ日銀にとって大事なのは、何を目的に、どのような着地を目指して、長期国債の残高圧縮を進めていくかを明らかにすることである。日銀は残高圧縮について「市場機能の回復」とだけ述べてきたが、市場機能の回復とはどのような状態をもって「完了」といえるかである。

 

日銀の通貨発行益は早晩、通貨発行損に転化する可能性も ~日銀と国の統合バランスシートをめぐる誤解(その3、完)

2025.05.07

前回述べたように、日本銀行の当座預金等をあたかも「純資産」であるかのようにみなす誤解が、日本の財政状況に楽観的な見方を生み出してきた(2025.04.30「『日銀は潰れないから、国の負債超過は問題ない』は誤り」、2025.05.03「日銀の発行通貨(当座預金、発行銀行券)で、国の負債超過を帳消しにはできない」参照)。

 

しかし、事実は異なる。当座預金は民間金融機関に対する日銀の負債であり、国の負債超過を相殺できるような、自由に使えるお金ではない。負債超過の相殺に使えるのは、あくまで期中の通貨発行益に限られる。だが、その額は負債超過額のわずか0.3%(2023年度)にすぎない。

 

日銀の通貨発行益は、毎年度国の歳入に組み込まれ一定の貢献を果たしてきたのは事実だが、今後を展望すると、その余地も限られる。以下、その理由を考えてみたい。

 

日銀の発行通貨(当座預金、発行銀行券)で、国の負債超過を帳消しにはできない ~日銀と国の統合バランスシートをめぐる誤解(その2)

2025.05.03

日本銀行と国の統合バランスシートをめぐっては、誤解が多い。前回は、「日銀は潰れないから、国の負債超過は問題ない」との主張が誤解であることを述べた(2025.04.30「『日銀は潰れないから、国の負債超過は問題ない』は誤り~日銀と国の統合バランスシートをめぐる誤解(その1)」参照)。

 

今回は、日銀の発行通貨(当座預金等や発行銀行券)を通貨発行益と同一視し、あたかも純資産であるかのように取り扱い、国の負債超過と相殺してしまう誤解をとりあげたい(参考1、前回に掲載したものと同じ)。

 

もし、本当に、日銀の当座預金等や発行銀行券(残高合計約670兆円)を通貨発行益とみなせるのであれば、統合バランスシート上の負債超過約690兆円をほぼ相殺できる規模なので、国の負債超過は問題ないとの主張につながる。

 

しかし、誤解である。これは定義からみても明らかだ。日銀の当座預金や発行銀行券はバランスシート(貸借対照表)上の負債項目である。他方、通貨発行益は、その名のとおり損益計算書に関連する概念だ。主張自体が、バランスシート(B/S)と損益計算書(P/L)の混同に起因している。

 

厄介なのは、こうした主張の中には、なんの説明もないまま、当座預金等や発行銀行券と負債超過とを相殺し、「国の負債超過はほとんど存在しない」とするものが少なくないことだ。「当座預金」を「通貨発行益」または「純資産」とみなすことへの是非を述べることなしに、結論だけを断定的に述べる。これが多くの人に錯覚をもたらしていることに、十分な注意が必要である。

「日銀は潰れないから、国の負債超過は問題ない」は誤り ~日銀と国の統合バランスシートをめぐる誤解(その1)

2025.04.30

日本銀行は毎年5月の決算発表時に、また国は翌年3月に発表する「国の財務書類のポイント」の中で、前年度末のバランスシートを公表している。

 

両者を合算した統合バランスシートは、国の財務状態を評価するために、計算上のものとして作成されることが多い。しかし、同じ統合バランスシートをふまえても、「だから国の負債超過は問題ない」とする見方と、「だから事態は深刻だ」とする見方が鋭く対立している。

 

議論には多くの論点があるが、中央銀行のバランスシートに関する誤解も少なくない。以下、いくつかの論点を取り上げ、「だから国の負債超過は問題ない」との見方は誤解であることを説明したい。

国民と日銀の物価感はなぜこうもズレるのか(2/2、完): ~物価高対策は中央銀行の仕事

2025.04.01

国民と日銀の物価感が著しくズレてしまった。

 

前回のコラムでは、日銀が強調する「基調的な物価上昇率」のリスクを述べ、足元の物価の基調は年3%前後の上昇にあることを確認した(2025.03.31国民と日銀の物価感はなぜこうもズレるのか(1/2):『基調的な物価上昇率』のワナ:物価の基調は3%参照)。

 

意味合いを変えた「基調的な物価上昇率」

 

実は、2022年春に物価が上昇局面に入って以降、日銀は「基調的な物価上昇率」の意味合いを変えてしまった。

国民と日銀の物価感はなぜこうもズレるのか(1/2) ~「基調的な物価上昇率」のワナ:基調はすでに3%

2025.03.31

国民と日本銀行の物価感が著しくズレてしまっている。

 

日銀は「基調的な物価上昇率」という概念を用い、これが「まだ2%を幾分下回っている」として慎重な利上げ方針を維持している。

 

一方、国民が日々の生活で直面する物価の上昇率(消費者物価総合)は、前年比3%前後に達している。しかも3年近く続いてきた(参考1参照)。これを「基調」と呼ばずして「何が基調なのか」というのが国民の実感だろう。

 

政府はいま「強力な物価対策」を検討中と伝えられる。しかし、物価全般の高騰である以上、物価への対処は中央銀行の責務だ。当の日銀は、物価の高騰継続をむしろ望んでいるようにすら見えるが、どう理解すればよいだろうか。

 

財政法はなぜ厳格な財政規律を求めているのか ~昭和7年からの教訓とは

2025.03.04

最近、財務省を悪者視する書籍や動画が目立つ。国民に寄り添う施策を提案する政治家や評論家に対し、あたかも財政規律を振りかざして抵抗する財務官僚のイメージである。

 

だが、厳格な財政規律を求めているのは、財政法である。もし「財政規律を求めるのは不適当」とするのであれば、責任は、法律を定めた国会にある。

 

財政法は今も厳格な財政規律を求めている。だが、近年、その形骸化が進んできた。財政法は発行を認めず、別の法律(特例公債法)を根拠に発行される赤字国債の残高は、いまや800兆円を超えようとしている(2024年度末見込み)。

 

先人は、何を考え財政法に厳しい財政規律を求めたのか。同法のコンメンタールである「財政法逐条解説(第3版)」(平井平治<当時、大蔵省主計局法規課長>著、一洋社・1949年、以下「逐条解説」)をもとに、法律に込められた先人の思慮を探ってみよう。

グローバルな日本企業の間で、最近、日本人管理職の給与の割り負けが話題だ。対欧米のみならず、最近はアジアの一部諸国に対しても、派遣職員の給与が現地比割り負け始めたという。

 

派遣者には、日本の給与体系が適用される例が多い。足元の為替レートを適用して送金すると、現地の管理職者の給与水準に負けてしまう。企業は様々な工夫で均衡を図ろうとするが、退職者も増えている様子だ。

 

比較的若い年齢層の場合は、会社を退職し、その後に派遣先だった海外現地法人に入り直す例もあるという。現地採用の方が、給与が高くなるというわけだ。

 

国外への流出は、将来を嘱望される人財であるほど目立つ。海外の大学への留学生も同様で、卒業後国内に戻らず、現地で就職先を探す若者が増えている。

 

1 / 1612345...10...>>