金融経済イニシアティブ

国債残高82兆円を「国家財政、破産の危機」と呼んだ時代があった ~財政規律はなぜ軽んじられるようになったか

2022.01.04

昨年末、NHK衛星放送が、1982年に放映した特集番組「85歳の執念~行革の顔・土光敏夫」を再放送していた。第二次臨時行政調査会、いわゆる「土光臨調」の会長土光敏夫氏を追ったドキュメンタリーである。

 

番組は「国の借金、国債発行残高82兆円。国家財政はいま、破産の危機に瀕している」とのナレーションで始まる。

 

その後40年を経て、今年度末の国債発行残高は1000兆円に達する見込みにある。実に二桁違う。財政規律はいまや風前の灯にある。

 

財政規律確保への闘いと挫折

日本で初めて赤字国債が発行されたのは、75年度だった。その後、80年代の行財政改革を経て、90年度の当初予算でいったん赤字国債は発行ゼロに戻った。

 

しかし、長続きしなかった。94年度には再び赤字国債が発行されるようになり、その後は5~10年ごとに国債の発行規模が拡大している(参考1参照)。

 

(参考1)日本の財政状況

(注)2020年度までは決算、21年度は当初予算による。
(筆者注)21年度は補正予算の成立に伴い、22兆円の新規国債が追加発行される予定。
(出典)財務省「これからの日本のために 財政を考える」より。

 

もっとも、財政規律確保の取り組みは、90年代後半以降も続けられた。1997年の財政構造改革法の施行や2000年代前半の小泉改革が典型である。

 

2011年の東日本大震災後に政権を担った野田佳彦内閣も、財政再建に積極的に取り組んだ。復興特別所得税を導入したほか、消費税率引き上げ法案を成立させ、「社会保障・税の一体改革」の3党合意も取り付けた。しかし、2012年末の総選挙に敗れ、政権から退いた(参考2参照)。

 

(参考2)財政規律確保の試みの歴史

(出典)各種資料から筆者作成。

 

財政規律の後退

あとを継いだ安倍晋三内閣は、14年4月に消費税率を5%から8%に引き上げる一方で、10%への引き上げを2度にわたり先送りし、結局、4年遅れの19年10月に実現させた。この間「機動的な財政運営」を掲げ、積極的な財政拡大路線を進めた。財政健全化目標として掲げた「基礎的財政収支の黒字化」も、達成時期を当初の20年度から25年度に先送りした。

 

さらに20年度には新型コロナ感染の拡大を受け、175兆円という巨額の予算(補正後)を組み、その後の菅義偉内閣(21年度当初)、岸田文雄内閣(21年度補正)へと引き継がれている。

 

昨年秋、財務省の矢野康治事務次官は月刊誌に寄稿し、与野党こぞってのバラマキ合戦に警鐘を鳴らした。これは、財政規律が著しく軽んじられるようになったことへの危機感からだろう。

 

集票を意識した財政支出の拡大

財政規律が後退した最も大きな理由は、政権に復帰した自民党政権が、選挙での「集票」を意識して財政積極路線に舵(かじ)を切ったことだろう。

 

2000年代以前は、財政規律を重んじる自民党に対し、大きな政府を指向する野党という構図が定着していた。この構図が、民主党野田内閣から自民党安倍内閣に政権が移る過程で逆転した。

 

安倍政権は、成長戦略の名のもとに多くの新たな取り組みを始めただけでなく、国土強靭化の名のもとに公共事業の復活を図り、子育て支援などの社会保障の拡充も進めた。いわば「すべてを取り込む」戦略で選挙を戦い、制してきた。

 

危機を「想定外」のままにしておいていいか

同時に、新型コロナという大規模な「危機」も発生した。日本は、それ以前にも、リーマンショックや東日本大震災、金融危機、阪神淡路大震災といった大規模な危機に見舞われている。いずれも「100年に1度の危機」と呼ばれたものである。

 

政府は、その都度、巨額の予算を組んで対応してきた。しかし、以前であれば並行して財源確保の議論も行われたが、安倍政権からはほとんど何も語られなくなった。政治の力点が、危機をテコとする財政支出の拡大に移ったように見える。

 

しかし、「100年に1度」と呼ばれる危機は、実際には10年弱に1度の頻度で起きている。これをいつも「想定外」としていては、財政状況が加速度的に悪化するのは当然だ。危機を「想定内」としていく努力が不可欠であり、財政支出と財源はセットで考えられなければならない。

 

財政規律を後退させた異次元緩和

日本銀行による異次元緩和も、財政規律の後退を招く原因となった。中央銀行は、もともと財政規律を重んじる立場だ。とくに異次元緩和のように日銀が巨額の国債を購入する場合には、政府による財政規律の維持が、中央銀行の独立性確保のための「最後のよりどころ」となるはずだった。

 

しかし、当初2年で終える予定だった異次元緩和は、物価目標を達成しないまま、8年半を過ぎた。20年度末までの8年間にわたる日銀の国債購入額は400兆円を超え、財政赤字の累計を上回る規模に達した。国の資金繰りを丸ごと面倒みた計算である。

 

こうした日銀による巨額の国債購入は、政界に「国の資金繰りを心配する必要はない」との見方を生み出し、「日銀はいわば政府の子会社」と言ってはばからない政治家を増やした。日銀の意図ではなかったにせよ、長期にわたる異次元緩和が財政規律の後退に拍車をかけたことは間違いない。

 

登場する積極財政論

経済論壇にも、積極財政推進の論拠がいくつか登場してきた。ごく最近は「海外先進各国も、格差是正のため大きな政府を指向している」との指摘がある。

 

それは事実だ。しかし、日本の場合は、はるか以前から巨額の財政赤字が続き、政府債務残高対GDP(国内総生産)比率は世界最悪の水準にある。背後にあるのは集票を意識した政治スタンスであり、欧米各国と同列に論じるのは適当でない。

 

リフレ派 vs.MMT

リフレ派やMMT(現代貨幣理論)の議論もある。両者は同一視されがちだが、相いれないロジックに基づいている。

 

リフレ派は、もともと「物価の低迷が諸悪の根源」とし、日銀による大量の資金供給を主張していた。しかし、異次元緩和でも物価が上がらないことを踏まえ、「消費増税が失敗だった」と論じるようになり、いまは財政・金融一体となった積極策を唱えている。ただし、最終的には物価の上昇を追求する姿勢に変わりがないようにみえる。

 

一方、MMTは「自国通貨を発行できる国家は、財政赤字を拡大しても債務不履行は起きない」と主張し、財政支出の拡大と国債発行(および中央銀行による資金供給)に焦点を当てる。物価の上昇を一義的な目標とするわけではない。

しかし、政界では両者が渾然(こんぜん)一体として議論されがちで、なかなか評しにくい。財政規律との関連に絞っていえば、結局、論点は、規律が失われ、国の資金繰りを日銀に依存するようになった時に、何が起きるかだろう。

 

そうした情勢では、通常、国や中央銀行の信用力が低下し、円相場が下落するとともに物価が上昇に向かうと想定される。そうなった時に、高インフレを阻止できるかどうかである。

 

積極財政論者は「インフレターゲティングがあるので、高インフレは抑え込める」とする。しかし、過去の歴史からみて、政治が「賢者の論理」で動くと信じるのは楽観的に過ぎる。

 

政治にしてみれば、「高インフレの抑制は中央銀行の責任」と述べつつ、「政府には国民の生活を守る責任があり、中央銀行には国の資金繰りを支える責任がある」と言えば、もっともらしく聞こえ、それで済んでしまう。しかし、それだけで中央銀行は利上げが難しくなり、インフレの制御が困難となる。

 

これが内外の歴史ではなかったか。それゆえに、各国は人類の知恵として、中央銀行による国債の引き受けを禁じてきた。

 

 

日本の財政規律は、どこへ向かうか。岸田政権は早速岐路に立たされている。

 

以 上

 

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