明治の人はエラかった ~暦を改める話
2025.01.06正月風景は、子どもの頃とは大違いだ。
60年前のわが家では、元旦は玄関口に日の丸を掲げ、お屠蘇と雑煮とおせち料理で明けた。
おせち料理を終えると、待望のお年玉だ。
父親がポチ袋(当時そんな名称は聞かなかった)を一人ひとりに配る。
私は、兄がいくらもらったかを覗き込みながら、後生大事にしまい込んだものだ。
山本謙三が書き綴った四方山話です。
正月風景は、子どもの頃とは大違いだ。
60年前のわが家では、元旦は玄関口に日の丸を掲げ、お屠蘇と雑煮とおせち料理で明けた。
おせち料理を終えると、待望のお年玉だ。
父親がポチ袋(当時そんな名称は聞かなかった)を一人ひとりに配る。
私は、兄がいくらもらったかを覗き込みながら、後生大事にしまい込んだものだ。
12月は、人間ドックの受診月である。
初回が年末近くだったために、例年、この時期にドックに入る。
その、ひと月ほど前にはミニダイエットが始まる。
妻に「甘いものは控える、夕飯は少なめにする」と宣言する。
だが、毎年のことなので、事もなく聞き流される。
9月中旬、「異次元緩和の罪と罰」(講談社現代新書)を上梓した。
定価1210円、電子書籍1155円(いずれも消費税込み)の新書である。
齢(よわい)70にして、初の出版となる。
感慨深い。発刊後、どれだけ売れるか、気になって仕方がない。
私はこうみえても、信仰心が薄い。
墓参りも滞りがちだ。
父は40年前、母は20年前に他界している。
彼岸が近づく度に、妻から「墓参りはどうするつもり?」と尋ねられるが、「まぁ、両親も忙しいだろうから、出かけていっても墓の中にいないかもしれんな」などと言って、逃げ回っている。
私「今回は趣向を変えて、これまでの『KYな話』のベスト盤にした」
妻「なに?それ?」
私「だから、これまでの話の中から、好評だったものをピックアップしてお届けする」
妻「そんなの、読む人いるの?」
私「そりゃ、いるさと考えられる」
妻「なんか、小声のところが、健康食品のCMみたいね」
5年前、65歳になるのを控えて、個人事務所を立ち上げることにした。
押しも押されもせぬ一人事務所である。
半年前に友人が同様の活動を始めていたため、いろいろと教えてもらった。
このほかにも、たくさんの先輩、同輩、後輩から貴重なアドバイスをいただいた。
税理士の先生を紹介してもらったり、事務所の出費管理の詳細に助言をいただいたり、寄稿時の注意事項を教えてもらったりと、あげればきりがない。
知らないことだらけで、こうなると、もぅ、あらゆる知り合いに頼るばかりだ。
相変わらず、パソコンに苦しめられている。
先日は、マイクロソフト・ワードの校閲機能「変更履歴の記録」ボタンが、突然、押せなくなった。
正確にいえば、いったんはボタンを押せるのだが(グレー表示になるが)、原稿を打ち始めたとたん、元へ戻ってしまう(グレー表示が消えてしまう)。
由々しき事態だ。
これでは、人と原稿のやりとり(文章の修正)ができないではないか。
ある日の会話。
私 (テレビ番組を視聴後)「結局は、「子はカスガイ」って話だったな」
妻「カスガイって何よ」
私「だから、なんだ、夫婦の絆をつなぐみたいなものだな」
妻「そんなこと知ってるわよ、もともとの意味は何かって」
私「ん~、カンヌキみたいなもんじゃないか」
妻「頼りないねぇ、じゃぁ、どんな漢字?」
知り合いが、年配者の素人オケ(オーケストラ)に所属している。
引退後に久しぶりに楽器を触ったり、子育てを終えてから楽器を始めたりした人が、ほとんどのようだ。高校や大学時代に本格的に活動していた人たちとは、少し異なる。
とはいえ、日ごろの鍛錬と毎週の練習には余念がない。
40歳を過ぎるあたりまで、たまに、受験を控える夢をみた。
不安に満ち、楽しい夢ではなかった。
受験は、それほどプレッシャーを感じる出来事だったのだろうか。
入試の国語(古文)に、日記ものが出題された。