スマホを落としただけなのに(後編)
2025.10.01[本編は、先月アップした前編の続きです。よければ、「スマホを落としだだけなのに(前編)」からご覧ください。]。
7月の金曜夕刻、京都でスマホを失くした私は、発見できないまま、新幹線で帰京した。
千葉の自宅に辿り着いたのは、23時過ぎだった。
妻からは「まだどこからも連絡がない」と聞かされる。
淡い期待は泡と消えた。
山本謙三が書き綴った四方山話です。
[本編は、先月アップした前編の続きです。よければ、「スマホを落としだだけなのに(前編)」からご覧ください。]。
7月の金曜夕刻、京都でスマホを失くした私は、発見できないまま、新幹線で帰京した。
千葉の自宅に辿り着いたのは、23時過ぎだった。
妻からは「まだどこからも連絡がない」と聞かされる。
淡い期待は泡と消えた。
7月の金曜夕刻、京都での講演を終え、会場をあとにした。
京都駅に到着後、スマホが無いことに気づいた。
落としたか、忘れたか。。。
途方に暮れる。
スマホなしでは、メールも読めないし、来週の予定も分からない。
結果をあらかじめ述べれば、約27時間後に無事回収できた。
幸運もあった。
京都での講演の主催者、講演会場のホテル、タクシー会社の方々に、本当によくしていただいた。
家族の協力もあった。
心からお礼を申しあげるとともに、反省を込め、ここに記録を残すこととしたい(全2回)。
先日、テレビ番組が「AIの進歩は著しく、人に寄り添う会話もできる」と興奮気味に語っていた。
私「ん?人に寄り添う?」
妻「そうよ、人間よりもいいかもね」
私「そうじゃないだろ」
妻「なによ?」
私「だれが何と言おうと、AIはコンピューターだ」
妻「だから?」
国立国会図書館は、東京メトロ永田町駅から歩いて5分ほどの場所にある。
国会議事堂に隣接しているのは、主な役割が国会活動のサポートにあるからだろう。
あわせて、広く国民に図書館としてのサービスを提供している。利用者登録を行なえば、誰でも閲覧できる。
蔵書数は、約4753万点(2023年度、資料、新聞を含む)。国内出版物のほとんどをカバーしている計算だろう。
国会図書館は、知識の宝庫、国民の宝である。
東海道新幹線が開通したのは、昭和39年(1964年)の東京オリンピック開幕のわずか9日前だった(著者注)。
(著者注)当初のコラム掲載時点では「10日前」と記しましたが、正しくは「9日前」でした。読者の方から指摘を頂きました。謹んで訂正いたします。
テレビ局は、新大阪行きひかり号の車内に機材を持ち込み、「ただいま時速210キロ」とのアナウンスに乗客が沸き立つシーンを生放送していた。時速210キロは、当時の世界最速である
名神高速道路にも中継車を走らせ、新幹線の車内と中継車から同時中継していた。高速道路を走る車が次々と新幹線に追い抜かされる様(サマ)は、当時としてはなかなかの見ものだった。
今年は「放送100年」だそうだ。
放送100年を記念して、NHKが過去の番組をいろいろと紹介してくれている。
懐かしいのは、クイズ番組「連想ゲーム」(1978~1990年度)だ。
男女5名ずつが2チームに分かれて、点数を競い合う。
電車の車内放送は、昔は、鼻にかかった独特の声音だった。
「つぎは~、とぉーきょ~、とぉーきょ~」というやつだ。
この独特の語り口は、いつのまにか車内放送から消えた。
技の伝承は、いまや中川家(漫才)の双肩にかかる。
最近、テレビでよくACジャパンの公共広告を見るようになった。
俳優松重豊さんが登場する「全国こども食堂支援センター」、近藤真彦さんの「日本耳鼻咽喉科頭頚部外科学会」、中山きんにくん(役名は中山けんみゃくん(検脈))の「日本心臓財団」、有村架純さん(ナレーションのみ)の「プラン・インターナショナル・ジャパン」等々、種類は多彩である。
なかでも秀逸と感じるのが、嶋田久作さん扮する「決めつけ刑事(デカ)」だ。
私の手元には、多くの健康グッズがある。
ストレッチポール、フォームローラー2種、バランスボール、ストレッチリング(そういう名前らしい)、ストレッチスティック(そういう名前らしい)。これらにテニスボールとソフトボールが加わる。
家庭用エアロバイクは、妻が買った。
しかし、いまや2歳の孫娘が大きくなったとき用として、部屋の片隅にしまってある。
日々、新たな挑戦が続く、、、と言いたいところだが、いかに長続きしないかを物語る品々だ。
正月風景は、子どもの頃とは大違いだ。
60年前のわが家では、元旦は玄関口に日の丸を掲げ、お屠蘇と雑煮とおせち料理で明けた。
おせち料理を終えると、待望のお年玉だ。
父親がポチ袋(当時そんな名称は聞かなかった)を一人ひとりに配る。
私は、兄がいくらもらったかを覗き込みながら、後生大事にしまい込んだものだ。