かくして小倉百人一首は生まれた、、、のか?
2025.12.01正月の定番、小倉百人一首には一つの謎がある。歌道の宗匠ともうたわれた藤原定家が撰者であるにもかかわらず、必ずしも名歌とは言い難いものが含まれているというのだ。
一体なぜ?
以下は、長らくこの謎に取り組んできた筆者の推察である。
嘉禎元年霜月、嵯峨野・小倉山荘にて
編集者「先生、お久しぶりです。正月も近いことですし、来年こそ、新しい歌集を出しませんか」
定家「お、いい心がけじゃな、では、さっそく詠むとするか」
編集者「あ、そうじゃなくて、、、過去の歌仙の歌から選りすぐっていただくってのはどうでしょう?」
定家「なんだ、つまらんやつだな。そんなことは誰でもできる」
編集者「いえいえ、滅相もございません。撰者のクオリティの高さが歌集の格を決めるってもんで」
定家「そうなの?」
編集者「ええ、そこはもう、時代を代表する藤原定家先生をおいてほかにはいないってことで、編集会議が一致しまして」
