新幹線開業日の右往左往
2025.06.02東海道新幹線が開通したのは、昭和39年(1964年)の東京オリンピック開幕のわずか10日前だった。
テレビ局は、新大阪行きひかり号の車内に機材を持ち込み、「ただいま時速210キロ」とのアナウンスに乗客が沸き立つシーンを生放送していた。時速210キロは、当時の世界最速である
名神高速道路にも中継車を走らせ、新幹線の車内と中継車から同時中継していた。高速道路を走る車が次々と新幹線に追い抜かされる様(サマ)は、当時としてはなかなかの見ものだった。
消えた食堂車
新幹線は、文字どおり驚異的なスピードで私たちの生活に入り込んだ。
1970年代前半に東京で学生生活を始めた私も、実家がある大阪との往復はほとんどが新幹線だった。
新幹線には食堂車もあった。値段が高く、利用には一世一代の決心が必要だった。一度だけ妻と利用したが、何を食べたかは記憶にない。
その食堂車も2000年には姿を消した。
列車着信通話
私たち夫婦が親しくさせていただいているご夫妻の夫人の話である。
1972年3月15日、山陽新幹線が新大阪・岡山駅間で開業した。
学生だった彼女は、その日、東京発岡山行きのひかり号の中で、お弁当にお茶、サンドイッチや通過駅のお土産を売り歩く車内販売のアルバイトをしていた。
車内販売の係には、このほかに「列車着信通話」の取次ぎという重要な仕事もあった。
外部から列車内の乗客に急ぎ伝えたいことがあるときは、ダイヤル107に電話をかけ、交換手に列車番号と相手の名前を告げる。すると、交換手が列車内に電話をつないでくれる仕組みだったようだ。
列車内での着信通話の取次ぎは、国鉄職員でなく、車内販売の係が請け負っていた。
その日は、件(くだん)の夫人(当時学生アルバイト)が、着信電話を取り次ぐ役目だった。
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東京駅発車後まもなく電話が鳴った。
電話の相手「○○食品の新入社員の△山さんの呼び出しをお願いします」
学生アルバイト「はい、承知いたしました」
車内アナウンスのスイッチを入れる。
学生アルバイト「(車内に向けて)お呼び出しを申し上げます。○○食品新入社員の△山さま、○○食品新入社員の△山さま、お電話が入っております。*号車までお越しください」
車内放送が流れるや否や、係のもとへ黒服を着た車内販売のチーフが飛んできて、鬼の形相で叫んだ。
チーフ「キミ、失礼じゃないか!!」
バイト「え?なにか?」
チーフ「『新入社員の』は失礼だろ!!」
バイト「でも、先方がおっしゃったとおりに放送したんですが、、、」
チーフ「新入社員は失礼だ!!『〇〇食品の△山さま』とだけ言うんだ!!、、、ガミガミガミ」
バイト「???」
そんな押し問答が続いた。
残念だったのは、チーフが飛び込んできたのが車内放送のスイッチを切る前だったことだ。
おかげで、一部始終は全車両に実況放送され、すべての乗客が耳にすることになった。
すると、今度はこの放送を聞いた国鉄の車掌さんがやってきた。
チーフは大目玉を食らい、平身低頭する始末。
「その日の岡山往復は、それまでの京都、新大阪往復に比べ、なんと長い一日だったことか、、、、、、岡山は遠かった!」というのが、山陽新幹線開業日の彼女の回想である。
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その「列車着信通話」サービスも、携帯電話の普及におされ、2004年に終了している。
(イラスト:鵜殿かりほ)