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かくして小倉百人一首は生まれた、、、のか?

2025.12.01

正月の定番、小倉百人一首には一つの謎がある。歌道の宗匠ともうたわれた藤原定家が撰者であるにもかかわらず、必ずしも名歌とは言い難いものが含まれているというのだ。

一体なぜ?

以下は、長らくこの謎に取り組んできた筆者の推察である。

 

嘉禎元年霜月、嵯峨野・小倉山荘にて

 

編集者「先生、お久しぶりです。正月も近いことですし、来年こそ、新しい歌集を出しませんか」

定家「お、いい心がけじゃな、では、さっそく詠むとするか」

編集者「あ、そうじゃなくて、、、過去の歌仙の歌から選りすぐっていただくってのはどうでしょう?」

定家「なんだ、つまらんやつだな。そんなことは誰でもできる」

 

編集者「いえいえ、滅相もございません。撰者のクオリティの高さが歌集の格を決めるってもんで」

定家「そうなの?」

編集者「ええ、そこはもう、時代を代表する藤原定家先生をおいてほかにはいないってことで、編集会議が一致しまして」

定家「ふ~ん、それはそれでよい心がけではあるがな。して、どんな歌集を出したい?」

 

編集者「えぇ、ここは、過去の歌人の中から一人一首ずつ選んで、全体で百首ぐらいのコンパクトな歌集にしてはどうかと」

定家「そりゃ、もったいない。せめて一人三首ぐらいにはせんとな」

編集者「いえいえ、当代、分厚い本はそれだけで敬遠されますんで。文庫か新書版が良いところかと」

 

定家「そんなもんかねぇ。。。で、コンセプトはどうする?歌集といえども、コンセプトは大事だぞ」

編集者「おっしゃるとおりでして、今回は『庶民も楽しい和歌集』でいきたいと」

 

定家「なに? 庶民? 和歌は貴族の嗜み(たしなみ)じゃぞ」

編集者「そこはお言葉ですが、、、、庶民に受けなけりゃ、和歌もいずれは廃れますんで」

定家「何を言っておる、貴族も和歌も永遠に不滅じゃ」

編集者「はぁ、しかし、すでに武家の時代ですし。貴族の嗜みにとどめれば、いずれは先細りかと」

 

定家「ふむ、痛いところをつくなぁ」

編集者「でしょ。それに、庶民に受ければ、貴族の方々も、アルバイトで和歌を教えたりなんぞして、少しは生活の糧も得られるかと」

定家「まぁ、それはそうだがなぁ・・・しかし、自分には『庶民に受ける』というのがどんなものか、よぅ分からんのだ」

編集者「そこはもぅ、私の方でお手伝いしますんで」

 

定家「じゃ、こうしよう。私は私で考えるから、君も君なりに百首ぐらい考えてみてくれ」

編集者「はは、承知しました」

 

1か月後

 

編集者「先生、お疲れさまです」

定家「おぉ、きたか」

編集者「では、さっそく、打ち合わせを」

定家「まずは、君が選んだ歌からみせてもらいたいな」

 

編集者「では恥ずかしながら。

まずは柿本人麻呂翁の歌から。

あしひきの山鳥の尾のしだり尾の 長々し夜をひとりかも寝む

定家「ん?」

編集者「いかがです?」

 

定家「ん~~、人麻呂翁はよいが、この歌はなぁ、、、」

編集者「なぜです?」

定家「そりゃ『あしひきの山鳥の尾のしだり尾の』は、すべて『長々し』にかかる序詞にすぎんからなぁ。歌の中身は、『長々し夜をひとりかも寝む』しかない」

編集者「で?」

定家「『で?』って、君ぃ、、。中身14文字に、序詞17文字ってのは、さすがにないわな。内容も『長い夜を一人で寝ました、あぁ、ザンネン』だけだし。人麻呂翁にはもっとよい歌があるぞ」

 

編集者「先生、お言葉ですが、『あしひきの山鳥の尾のしだり尾の』のリズム感が、庶民にはグッとくるわけでして」

定家「なんじゃ、そのリズムなんとかってのは?」

編集者「韻を踏むというか、耳に心地よいというか。。。将来何年経っても、グッとくる。21世紀には、韻を踏むばかりで、中身のほとんどない歌が流行(はや)るとも言われております」

 

定家「何を言ってるか分かんない」

編集者「リズム感、語感の良さでは、ほかにもこんな歌も持ってきました。

これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関(蝉丸)」

定家「う~ん」

編集者「いいでしょ、リズム感があって」

定家「あとにしよう」

 

定家「ほかには」

編集者「そぅそぅ、これこれ。

君がため春の野に出でて若菜つむ 我が衣手に雪は降りつつ(光孝天皇)」

定家「この歌のどこがいいの?」

 

編集者「あぁ、そうでした。ほかの歌とセットで見ていただかないと、味わいが分かりませんね。

まず、1組目。

君がため春の野に出でて若菜つむ 我が衣手に雪は降りつつ(光孝天皇)と、
秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ(天智天皇)

次に、2組目。

君がため春の野に出でて若菜つむ 我が衣手に雪は降りつつ(光孝天皇)と、
君がため惜しからざりし命さへ ながくもがなと思ひけるかな(藤原義孝)」

 

定家「セットってどういう意味?」

編集者「第1のセットは『我が衣手(わが衣手)』が、第2のセットは『君がため』が、それぞれダブってます」

定家「で?」

 

編集者「将来、上の句を誰かが読み上げて、下の句を皆でとりあうゲームが流行るとしましょう」

定家「はぁ?」

編集者「で、光孝天皇の『君がため』と読まれたとたんに、思わず間違って天智天皇や藤原義孝氏の下の句に『お手付き』してしまう人が続出したりして。アハハハハハ。どうです?面白いでしょう」

定家「こりゃ、勝手に笑うな。私には、何が面白いのかさっぱり分からん」

 

編集者「先生、どんなに素晴らしい歌を集めても、それだけじゃ、庶民には受けませんぜ。大事なのは、親しみやすさと面白さ」

定家「いや、歌の心だろ」

 

編集者「先生、1000年残る歌集を作りましょうよ。先生のお名前も新古今和歌集の編纂だけじゃ、1000年は残りません。この百人一首で皆が先生の名を知って、そのあとで新古今和歌集をみて、『藤原定家ってのは、ユーモア作家かと思ってたけど、純文学も作れるんだ』となって、はじめて名を遺す」

定家「そんなもんかね」

編集者「はい、そんなもんです」

 

定家「どうも、自分には荷が重いようじゃ」

編集者「そんなことはおっしゃらずに。で、先生の歌はどうでしょう」

定家「ふむ、一つ詠んでみたが」

編集者「?」

定家「君のような人間に聞かせるのは、もったいない」

編集者「そんな、もったいぶらずに、お願いしますよ」

 

定家「ふむ、では、一つ。

 来(こ)ぬ人をまつほの浦の夕なぎにやくやもしほの身もこがれつつ

どうじゃ、面白くないだろ」

編集者「さすが、先生。面白くはないし、なにが素晴らしいか分からんですが、なにげに素晴らしい」

定家「ほめてるのやら、けなしてるのやら」

編集者「いえいえ、これはこれで素晴らしい。ですから先生、ぜひ撰者をお願いしますよ」

定家「なんか、これでいいのかという気持ちはあるがな」

 

編集者「ところで、この『まつほの浦』って何ですか」

定家「淡路島の北端にある村じゃ」

編集者「あ、そのあたりは、海峡を隔てた明石側と橋をかける計画があるとかないとか」

定家「?」

編集者「そうなれば、そのあたりで、またこの歌集が売れたりして」

定家「??」

編集者「では、今日のところはこれで。印税のご相談はまたいずれ」

定家「・・・」

 

(イラスト:鵜殿かりほ)